いつまで新型が付くのかなって、そんなことの心配をしてるってことは平和なのですかね。
近くに「新○○台」という、昭和50年代に開発された住宅地があることに関連します。
私の頭の中では。
スポンサーサイト
前にも同じような事をしたためた記憶もありますが、
わたくし、とても寝起きがこの上なく悪く、もうそれは寝不足とかそんな要因は関係無く、眠りから覚めると身体がとても怠く頭痛が伴うときもしばしばです。
多分、サバンナとかでは恐らく生きてゆけないと自負しております。
どれだけ寝ても、それこそ10時間とか、14時間とか寝ても、起きる時はとても怠い。
爽やかな朝なんて、まあ感じたことは皆無です。
何とかならんものかと、定期的にググってみますが、
辿り着くのはニンニクとかシジミとかの商魂たくましいサイトであり、余計具合を悪くするのでした。
#後からこの記載を見返すことを想定して、
#現在、新型コロナウィルスの影響で、
#緊急事態宣言が発令されている地域がある、
#という世の中です。
コロナが数字上は収束してきましたが、
そんな中、
『気の緩み』に気をつけよう!
という、フレーズが合言葉のように報じられております。
何ともふわっとした表現でありますが、
なぜ具体的に言わないのかな?と思ってました。
気の緩みを連呼するのであれば、
気の緩みリストでも作れば良いのにと思ったり。
でも、そうなんです。
そのリストを作ろうとしたら、気付いてしまうんです。
それが自粛警察のエサになることを…
受け取った言葉を200%守らないと気が済まない人は
一定数いると思われ、
下手に「宴会」や「観光地へ旅行」を
『気の緩み』の一つだと定義してしまうと
必要以上の自粛意識が芽生えると考えられる訳です。
そうなってくると、
新型コロナウィルスが地球上から消滅するまで
不要不急の外出は困難となります。
そんな堅物な日本人を、なあなあに上手く誘導する言葉。
それが
『気の緩みに気をつけて!』
ということなんですよ、きっと。
「善」と「偽善」って、
言葉だけ見ると真逆というか正反対の意味と思いますが、
実は紙一重ではないかと。
そんなことを考えながら
今日はもう疲れたので、
そろそろ寝ようと思います。
ニュースで、
①
居酒屋さん店長を取材し、
客が減って、死活問題。このままでは店を畳むしかない。
でも、昼の時間帯でランチなどを充実させて
なんとかこの苦難を切り抜けたい。
居酒屋さん、頑張れ!
みたいな流れ。
②
繁華街を取材し、
閑散とした中で、若者数人を見つける。
(顔は映さない)
若者から、人が少ないので飲食店の居心地が良いとのコメントあり。
するとナレーションで、
危機感が全く無い。自分の都合を優先せず、不要不急の外出を控えるべきではないだろうか?
みたいな流れ。
同じニュース番組の中なのに、
①と②をやっちゃうんですよ。
何ですかね?
応援するフリして居酒屋を潰したいんですかね?
不要不急以外で居酒屋に行く用事ってあるんですか?
②のような客がいないと①は成り立たないのは誰でも分かること。
それを批判するなら、
最初から居酒屋なんて取材してはダメでしょう。
もしくは、「当面は休業するべき」との論調にしないと。
いつものマスコミさんのテーマである、
「弱いものには寄り添う」
「(マスコミ的)社会悪は糾弾する」
を同時にやると、こうなります。
そんで、番組としての整合よりも
ウケの良い映像を流すことに注力するから
結果的に矛盾が出てきます。
そして、多くのマスコミは同じような矛盾を量産してます。
マスコミにしたら、今の状況はコロナバブルとでも言えるのでしょう。
市民派を装い、世論に迎合しておけばそれなりの支持を得られます。皆、家に居るから視聴率もそれなり。
ただし
世の中を良い方向に向かわせたいとの姿勢が全く感じられません。